
≪あまつひ椿樹≫「止まらない私の朝。そこに隠れていた心の傷」
おはようございます。 椿樹です。 昨日のこと。 ブログでも書いたとおり、夏に遊び過ぎて、 私はこれから肺が悲鳴を上げる時期だから、 ゆったり過ごそう! 8時前に子どもを送り出し、洗濯を干して、朝ごはん食べよー、 と、お味噌汁に火をつけた。 2階のベランダに洗濯物をかけ、戻ろうとすると、 寝室のシーツや掛け布団が目に入る。 お天気いいし、洗っちゃうか! シーツに枕カバーもベリベリと剥がし、 どさっと溜まったものを2階の階段の上から下に落とす。 これがいつものやり方。 だって踏んずけて階段で滑ったら危ないし、 何より、私の母も祖母もそうしていた(笑) 下へ降りてくると、お味噌汁のお鍋がカタカタ。 火を止めて、シーツを洗濯機に突っ込む。 すると、ひとりでゆったり朝ごはんを食べるのに、 ぐちゃぐちゃな机が目に入る。 片づけ始めると、子どもの机の上、リビングの床、 いろんな家へ帰れないものたちが目に入り、 集めたり、元の位置へ戻したり、捨てたり、 そしたらラグを干したくなり、外へ干そうとするも、 まだ着替えてもいないことに気づく。 この時点ですでに汗だく。 ふとなんだか笑えてきて。 あーー、心の傷、出てるなーって(笑) “今日は、ゆったり過ごす” そう決めた途端この行動。 着替えて、ラグを干すために運びながら、頭の中で自分に、 『動かずいられないんだよねー、次はどーするんですかねー?』 なんて言葉を浮かべていると、ラグの下の床が気になる。 掃除機を取りに行く私。 クッションどかして、掃除機かけて、 今度はソファカバーが目に入り剥がしてる。 身体だけに権利というか決定権を預けていると、 止まらない手と足。 止めようと思えば止められる。 でも、敢えてどこまで動こうとするのか、 ぼーっと、呼吸だけは深くするようにしていたら、 玄関の川遊びをした靴を洗っていないことを思い出して、 その靴を持って庭へ。 今度はテラスが砂だらけ。 水で流す映像が浮かぶ。 はいはい。 靴をまずは洗って干して、そのままホースでテラスを流す。 ここまで終わったとこで、 私の意思で『もうやめよ!』 と家に入ったのでした。 時間は9:20。 朝ごはんを食べようとしてから結局1時間経った。 ゆっくりすることが許せない。 常に何かしていないといけない。 これは、私の心の傷、脳のトラウマから生まれている無意識。 そして、高校生の時に発症した、 私の持病の根源になっている思考。 ここまで聞くと、心の傷ってそんな悪さをするんだ… ってネガティブに捉えられるかもしれませんが、 特徴や傾向が分かっていれば、 使うことだってできる。 だって、今私がいるお部屋はとってもキレイになった。 ずっと片づけるのめんどくさいな~と思っていたのに。 今日は極端な例ですが、 自分の思考の傾向を知っておくことは自分が楽になることでもある。 脳が悪さをするために働いてるわけじゃない。 その全てが、自分自身を守るために、 無意識的に選択、行動していること。 いよいよ朝ごはんを食べるとき、 PCでブログを書きながら…が浮かんだときは、それは制して。 Netflixをつけた。 『ゆっくりしよーぜっ』 私が私に、心の中でかけた言葉。 守ってくれている私の無意識と共存する。 和合して一緒に生きていく。 理解しているからこそ意識的にできる、 頭と心と身体の調和。 今日も自分に感謝して、一緒に生きようね。 では、また。 椿樹
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あまつひ 椿樹

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