あまつひ 椿樹

≪あまつひ椿樹≫子どもに“正しさ”を求める前に、大人としてできることって?

おはようございます。
椿樹です。


最近、梅雨明けした地域も多いようで、
一気に「夏!」って感じの暑さになりましたね。
でも今年、梅雨短くなかったですか?
全然雨、降った気がしなくて。
これって空梅雨? お米大丈夫? ってちょっと心配になったりも。 さて、先日、息子の学童でご一緒しているお母さんたちと、
少し立ち話をする機会があったんです。 その中で話題になったのが、
ある女の子のちょっと気になる言動について。 相手が傷つくような言葉をよく言ってしまう子で、
周りのお友だちが少しずつ距離を置いてしまっている。 それに気づいた、別の女の子。
保育園からの繋がりがあるようで、
「週に◯日は一緒に遊ぶ日」って自分で決めて、
その子と関わる時間を作ってあげてるんだとか。 優しいですよね。 でも、その子も最近ちょっとしんどくなってきているみたいなんです。
それで、「じゃあどうしたら、その言葉や態度を止められるかな?」
「大人がどう介入するべきか」って話になった。 これを聞きながら、ちょっと考えてちゃったんですよね。
もちろん、周囲への配慮も大切だし、
言っちゃいけないことは、伝えていかないといけない。
でも、それだけでいいのかなって。 大人の介入って、「いじわる言っちゃダメだよ」って注意して、
行動を止めさせる形が多い気がするんですよね。
でもそれって、ちょっと“臭いものにフタ”的な対応にも見えてしまって。 その子が、なぜそんな言葉を使ってしまうのか。
どんな気持ちでそうしているのか。
そこを置き去りにして 「やめなさい」だけを伝えるのは、
なんかもったいないな…と思うんです。 実際、私たち大人だってそうじゃないですか? たとえば私だったら、 リビングに、靴下がポイっと放置されてる。
「もー!洗濯機に入れてって言ってるでしょ!」
って、つい声を荒げる日もある(笑)
「脱いだら洗濯機に入れようね♪」
なんて言えたら優しいんだけど、
こっちも疲れてるし、積もったイライラがあるし…。 大人ですらそんな風に感情で動いてしまうのに、
子どもにだけ“いつも正しく”“気持ちをコントロールして”って、
ちょっと酷じゃない?と思ってしまうんですよね。 だからこそ、
「どう抑えるか」じゃなくて、
「なぜそうなるのか」「そうなった時どう関わるか」
そこを大人も一緒に考えられる関係性が、
子どもたちの“居場所”を もっと心地よいものにしていくんじゃないかなーと。 家庭も、学校も、学童も、
子どもたちにとっては大切なコミュニティ。 理想は、何かが起きたときに、
「じゃあ、どうしようか」って
一緒に考えられる親どうしの繋がりがあること。 学年だけでも、そんな話ができる “対話の場”が持てたらいいな…
なんて、ちょっとお節介な想像をしながら、 帰り道に一人でふわっと思っていたのでした。 みなさんは、どう思われますか? では、またあした。
暑さに負けず、いってらっしゃい。  椿樹(つばき)



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