あまつひ 椿樹

≪あまつひ椿樹≫最期にあらわれる、生き方

おはようございます。


昨日は主人の祖母の葬儀へ行ってまいりました。
ひ孫4人に囲まれた、91歳のおばあちゃん。

みんなで生花を棺へ手向ける。
生花は、あの世とこの世を結ぶもの。


優しかった、心の澄んだおばあちゃんの胸元に、
ピンクのガーベラを添えました。
自分の母やおばあちゃんが亡くなったときの葬儀は、
正直あまり記憶がない。


やることもいっぱいだった、
精神的にも落ち着いていなかったし、
俯瞰して見るゆとりはなかった。


今回、おばあちゃんの孫の嫁として参加した私。
お義母さんは、やることで渦中の人。
葬儀って、遺された遺族のための儀式でもあるって、
昨日書きました。


この亡くなってすぐ、バタバタ執り行うことも、
忙しさに「悲しむ間がない」
来られた方に、どういった経緯だったかを
何回も話すことで、自分も腑に落ちていく。


本当に大変なのは、葬儀後だからね。
それは経験で分かっているので、


「お義母さんを助けていきます。安心してくださいね」
とおばあちゃんに約束しました。


亡くなられた原因は、大動脈乖離だったとのこと。
一瞬で意識がなくなってしまった。
だから苦しさはおそらくなかった。


この世の輪廻転生というものを信じるなら、
“死に際”というのは、その方の生き方の総括だと私は思う。
自分がどんな生き方をしてきたか、次の魂へ生まれ変わるため、
結果を知る必要があるからね。


おばあちゃんは、人に優しく、
素敵な生き方をされてきたんだろうな。


子どもに孫、ひ孫の手で、
たくさん飾りつけてもらったお花を纏って、
旅立たれた。


人が本当に死ぬのは、人の記憶から無くなったとき。
なんて言うけれど、人間は忘れていく生き物。
忘れていかないと生きていけないこともある。


もしかしたら、人の記憶への登場回数が減ったとき、
その方のこの世への未練が無くなったとき、
なのかもしれないですね。
だからいい思い出を、いつでも出せる引き出しに。


そして、俯瞰して見れる立場の人間は、
渦中の遺族のサポートに。


人のいのちも、輪廻転生で繋がっているけど、
人同士の役割もまるく繋がってるね。


今日は、強めの言葉をそのまま使いました。
あなたは今の自分を顧みて、
どんな最期を迎えると思いますか?


私はまだ、ちょっと苦しむ気がする(笑)
まだまだやること、生き方があるってこと。


あなたの隣にいてくれる人、その人の大事な人も…
繋がりを感じられる一日になりますように。


では、月曜日。


 椿樹(つばき)

 

 

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