あまつひ 椿樹

≪あまつひ椿樹≫ 「“無”の瞬間にひらく、サムシンググレートの扉」

おはようございます。
椿樹です。

先日からお話している映画のブログの中に出させていただいた、
サムシンググレート


敵の気配を感じさせないために、
炭治郎が“完全に無になる”という選択をする場面。
何も考えず、感じず、ただ静かに、今ここに存在する。
あれは、ただのアニメ的演出ではなく、 「人の力が本当の意味で引き出される瞬間」 その“無”の状態こそ、サムシンググレート 私たちの小さな意識を超えた、 偉大な何かとつながる扉なのかもしれません。
アインシュタインは、
「私たちが知っていることなど、宇宙の真理の前では塵のようなものだ」
と語っています。
そして、量子物理学の父・ニールス・ボーアも 「自然は、私たちの期待に従って動くわけではない」 と言い残しています。 「人間のなかには、13次元の神がいる」 ですが、科学の論文に“神”という言葉はつかえない。 そこで偉大な科学者たちが、言葉を選びながらも触れようとしていたのが、 このサムシンググレート。 それは、宗教やスピリチュアルに限定された話ではなくて、
私たちの無意識の深層に存在していて、 時に直感やインスピレーション、奇跡的なひらめきとなって現れる力。 意識には「顕在意識」と「潜在意識」がありますが、
日常で私たちが使っているのはほんの5〜10%にすぎません。
残りの90%以上は無意識の世界。
この深い領域に触れるには、“頭”で考えるのではなく、 むしろ「意識を手放す」ことが必要なんです。
私たちがふとした瞬間に思いつくアイデア、
言葉にできないけど「なんとなくわかる」という感覚、
静かな集中の中でだけ、降りてくる確信のようなもの。
それは、自分の中の顕在意識の力ではなく、
13次元といわれるような、はるかに広大な叡智からくる 「受信」かもしれません。 以前も書きましたが、 私自身、セッションやカウンセリングの中で、 意識して“無”の状態をつくることがあります。
判断せず、期待せず、ただ目の前のエネルギーを感じるとき、
本質に触れるような瞬間。 そのときは、自分で導いているというのではなく、
「何でか、この言葉を話そうと思った、喋っていた」 「私を通じて何かが働いている」 「なぜか、助けてくれる人が現れた」 そんな不思議な感覚、現象。
こういうことが、“サムシンググレート”が発動している状態なのだと思います。 人の力って、自分が“頑張って”出すものじゃなくて、
本当は“抜けたとき”に湧いてくるものなのかもですね。 サムシンググレートは、力んでいるうちは動かない。
でも、静けさの中、力を抜いたとき、 そっと背中を押してくれる。
そんな気がしてなりません。 では、またあした。 椿樹(つばき)

 >  ≪あまつひ椿樹≫ 「“無”の瞬間にひらく、サムシンググレートの扉」

ページトップへ